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商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

カテゴリー │お寺

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

 店舗名  義安會館(ギアアン会館)
 住所  685 Nguyễn Trãi, 11, 5, Hồ Chí Minh, ベトナム商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」 
 営業時間  6:00~18:00
 定休日  なし
 使える言語  ベトナム語
 トイレ  有り

※当記事は、2017年12月現在の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。

ホーチミンのチョロン地区、別名チャイナタウン。ここには7つの歴史的寺院があり、チョロン地区の代表的な観光地のひとつとされています。

なんでチョロン地区にチャイナタウンがあるの?という疑問に対しては、チョロン地区の歴史的背景をさかのぼることですんなりと理解することができます。現在ホーチミンには50万人ほどの華人が住んでいると言われていますが、実は華人とベトナムには切っても切れない縁が存在していているのです。その歴史は17世紀末にまでおよびます。

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17世紀末、中国の滅亡した王朝「明朝」の臣下が船に乗ってベトナムへ亡命を求めました。その人数は3000人ほどとされており、ベトナムの半独立国家「広南国」がそれを受領したことが、華人とベトナムの結びつきの始まりとされています。

そして時は経ち1778年、ビエンホア(ベトナムドンナイ省)の華人が西南朝(1778年から1802年までベトナムに存在した王朝)からの攻撃によって国内で難民となり、チョロン地区を自らの居住地として住み始めることを迫られました。これがチョロン地区にチャイナタウンが生まれたきっかけと考えられます。

そこからさらに時は経ち、1975年をまたぐころにはすでにチョロン地区に70万人の華人が住んでいたと言われています。当時、ベトナム南部には120万人の華人が住んでいたことを踏まえると、およそ58%の華人が限られたチョロン地区に住んでいたことになります。そのため、華人にとってチョロン地区とは、長い間の住居地としての役割をはたす歴史深き大切な地であることをお分かりいただけるかと思います。この歴史的背景からか、チョロン地区を歩いていると、華人の方々の歴史的痕跡がいたる場所に残されていることに気づくことができます。

ベトナムと中国がミックスされた独特な雰囲気こそが、ここチョロン地区の最大の魅力とも言われているんですね。

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

そして今回ご紹介するものが、上記のような歴史的背景によって作られた建造物である「寺院」。この寺院が建てられた目的は、もちろん寺院本来の目的として、礼拝の対象を祀るためです。しかし、それだけではありません。

寺院は華人同士の集会所としての機能もはたされていたのです。華人たちの出身はさまざまで、多様性に満ちています。そのため、この多様性を維持するためにも、寺院という集会場を介することによってコミュニティー関係を保っていたのです。

また、寺院に訪れたのであれば気づくと思いますが、どの寺院にも併設の学校を見かけます。寺院の前面の庭では学生たちが元気よく運動をしていますよ。

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華人たちは、コミュニティーの場として様々な華人の集まる寺院そのそばに、あえて学校をつくりました。子供を通わせる際の利便性や安全を確保を考慮してのことかもしれません。また、お賽銭箱のお金は、どうしてもお金がなくて学校に通えない子供や貧困にあえぐ方々のためにつかわれます。僕がこの寺院を作ったすべての目的を知ったとき、その綿密に組まれた計画に驚きました。さすがは「東洋のユダヤ人」と評される華人ですね。

チョロン地区にある寺院は全部で7つですが、華人たちの壮絶な歴史を踏まえた上で見に行くと、その強烈な意思や思いを感じ取ることができるかもしれません。

それでは、今回はそのうちの1つ、「義安會館(ギアアン会館)」をご紹介します。


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外観

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

チョロンのほぼ中心部にある寺院です。ここでは商売繁盛を願うことができる寺院として多くの参拝客を集めています。また、寺院前には広場があるため、よく学生が体育の授業を行っています。とても賑やかな声が聞こえてくると同時に、観光客は珍しいらしく、たくさんの子供達が興味津々に見てきました。

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前面の庭の広さはチョロン地区の7つの寺院の中でもトップクラスにあり、その広さはおおよそ2000平方メートルにも及びます。また、全体的に落ち着いた色合いをしているため、他の寺院とはひと味違った味わいがあります。

場所は他の寺院と近く、他6つの寺院には徒歩で行ける関係にあります。入り口の灰色の大きな門は近くに来ればすぐにわかると思います。また、大きな池もありました。

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この寺院は中国の福建省の出身のクアン・ティ氏の一族の力によって1872年に建立されたと言われています。なお、福建系の建物は屋根が曲線になるという特徴を持っています。広東系の建物は屋根が直線的になるため、屋根の形状でどこの省から来た華人が建設したのかすぐにわかります。

また、こちらの義安會館(ギアアン会館)はトイレがあります。ただし【無料Wi-Fi】がありません。それと寺院内の方はほぼベトナム語しか通じないと考えたほうが良いでしょう。

駐車場に関しては、目の前の広場にバイクは停めることができますが、車は不可能です。

内装

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この寺院の内装の特徴として、外観のシンプルさ、清潔さから想像できるようにとても清潔です。余計なゴミなども比較的少ないといえます。しかしながら、その外見の灰色の落ち着いたムードに反して、一度寺院内にはいるとそのゴージャスさに驚くでしょう。

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奥へと巨大な文字が書かれた看板が続いているため、壮大な迫力を味わうことができます。

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

この寺院には主に、商売繁盛の神である「関帝」が祀られています。この関帝に商売繁盛を願うために、毎年たくさんの地元の方がこの神社へと足を運んでいます。

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

関帝(かんてい)とは、中国の後漢末期に生きていた関羽(かんう)が神格化されたものです。関羽(220年1月生)は、中国後漢末期の将軍でした。彼の並外れた勇気や義理を重んじた性格は敵である曹操からでさえも絶賛されました。また、同時代の多くの人々へとその有能さゆえに名が知れ渡ることとなります。

そして彼の死後には47人目の神とされ、神格化されることとなります。

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彼は生まれはそれほど裕福でない生まれです。そのためか、やけに上の層には明らかな反骨精神を示していたといいます。自分の出生と同じ恵まれない人々には手厚い対応をする一方、上層に対しては無碍な対応をとり、それゆえ上層の恨みも買うようになったといいます。

ついには、魏と呉が関羽を打つために協力するようになり、ついに関羽は上層のものに殺される事となったのですが、物語はそれだけでは終わりませんでした。なんと彼を討った呂蒙が突然病死します。そして魏の曹操までもが立て続けに病死しました。

そこから続けて、関羽の討伐に関わったものたちが次々と倒れていったという奇妙な事件がります。西暦で言うと200年あたりですから、まぁなにかしらの疫病でも流行ったのが実際のところでしょう。

しかしながら、中国では非業の死を遂げた人に対しては強い霊力が宿るとの言い伝えがあり、多くの人がそこから超自然的な力を察したのかもしれません。彼の本来の知名度と相まって、次第に神格化されるようになったのです。

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」
商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」

死後最初の頃は彼は「武神」とされていました。しかし、彼がとても義理深い人間だったこと、そして元々は塩を密売することによって儲けていたことが原因で、現在では商売繁盛の神として信仰されるようになりました。

華人が世界中に住んでいることも原因なのか、世界各地の中華街では、必ず関帝に関する寺院か祭壇が設けられているそうです。なお、日本の横浜、大阪、長崎にも関帝廟があります。そんな身近な場所にもあるのですね、ちょっとびっくりしました。

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それにしてもただの一塊の将軍が神格化されるまでに至ったというのは不思議ですね。中国人にこのことを尋ねると、一塊の将軍が神格化されていることに対して矛盾は感じないそうです。また、中国人のなかでの人気神ランキングではダントツのTOPとされています。

もしも商売繁盛を望むのであれば関羽に祈りにいくなんてのも悪くないかもしれませんね。

また、こちらの寺院にはそれ以外にも神が祀られています。チャイナタウンのどこの寺院に行っても祀られている航海・漁業の女神、天后もいらっしゃいました。天后についてはこちらを御覧ください。華人とかなり密接に関わっています。



また、寺院内の装飾は美しく、とても派手です。

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また、僕が個人的に気に入ってるのは以下の場所です。

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まぁ、変哲のないただの通りなんですが。ただ、僕が以前中国で訪れた昔の貴族の庭にとてもそっくりだったのです。まさかベトナムであの感じを味わえるとは、と思いました。華人たちの中国の再現率に驚きです。

 店舗名  義安會館(ギアアン会館)
 住所  685 Nguyễn Trãi, 11, 5, Hồ Chí Minh, ベトナム商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」 
 営業時間  6:00~18:00
 定休日  なし
 使える言語  ベトナム語
 トイレ  有り

※当記事は、2017年12月現在の情報に基づいており、現在では異なる場合がございます。



この記事を書いた人

商売繁盛は関帝(かんてい)に祈る「義安會館(ギアアン会館)」
  田中さん(20歳)伊豆半島出身
  ベトナムにてインターン中の大学生
  旅が好き!
  ブログ:http://tantan1048.hamazo.tv/




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